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  1. 会議発表論文等

ラスキン「近代画家論」にみる地質学の美学 : 山岳絵画の「近代」とは何か

https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2001093
https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2001093
e647a6c8-3a5a-470d-a8c8-ed1ce328701d
名前 / ファイル ライセンス アクション
touhoubigaku_2004_105.pdf touhoubigaku_2004_105.pdf (4.1 MB)
Item type デフォルトアイテムタイプ_(フル)(1)
公開日 2023-03-18
タイトル
タイトル Aesthetics of Geology in Modern Painters : Ruskin reading the Mountain Landscapes
言語 en
タイトル
タイトル ラスキン「近代画家論」にみる地質学の美学 : 山岳絵画の「近代」とは何か
言語 ja
作成者 Kuwajima, Hideki

× Kuwajima, Hideki

en Kuwajima, Hideki

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アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
主題
主題Scheme NDC
主題 720
内容記述
内容記述 本稿は、ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)による『近代画家論』(Modern Painters, 1843-1860年。以下、MPと略記)のなかに、「地質学の美学」を読みとる試みである。ラスキンが、17世紀の風景画の「巨匠たち」(The Old Masters)と比較して、すなわち、ひとつの古今画衰論争を通じて、J. M. W. ターナー (Joseph Mallord William Turner, 1775-1871)など-主として同時代イギリスの-「近代画家たち」 The Modern Painters)のなかに見いだしたものこそ、まさに新たな「地質学的な」山岳絵画の描法と、その反省的な含意であった。従来『近代画家論』をめぐっては、光学・色彩学・気象学といった分野との関連のもと、ターナーらの風景画における近代性が、ひじょうにかまびすしく論じられてきたように思われる。あるいは『近代画家論』を扱う者たちのなかで繰り返されてきたのは、既成かつ自明の「ロマン派」概念との照合させつつ、そこで論じられている「想像力」概念を闇雲に検討・整理するような、ある種の衒学的な概念操作でしかなかったという感が否めない。たしかに上記のような研究視座は、ターナーらによる新たな風景描法の考案、特に、その「雲」や「水蒸気」をめぐる大気(あるいは、大空)の様相を捉える自然表象法の創出という点では、きわめて有効なものであったと思われる。例えば、本稿で特に注目している「山岳風景(画)」の場合でも、ユングフラウのように「中央高山脈」(The Central Mountains) (MP. 第2部・第4節・第2章)をなし、かつ常に万年雪に覆われ、したがって天上世界と揮然一体の様相を呈しているような山岳風景は、従来の「大気」をめぐる考察を基礎にその美的な価値が正当にに論じられているといえよう。 しかしながら、「中央高山脈」の章に続く、「傍系低山地」(The Inferior Mountains)(MR. 第2部・第4節・第3章)の章、さらには「前景大地」(The Foreground)(MP. 第2部・第4節・第4章)の章にいたっては、むしろその岩石表象の地質学的肌目の正確さおよび完全さが美的な価値評価の対象となっている。ラスキンは、「傍系低山地」の例としては、ターナーが原画を措いた《コリスキン湖》を挙げる。また「前景大地」の例としては、同じくターナーの描いたイングランド・ヨークシャーに存する」垂の「滝」を描いた作品群に言及している。ラスキンに言わせれば、ターナーの描いたコリスキン湖は、いかなる地質学教科書の挿絵と比べても、「地質学的な真理」とともに「偉大な完全さ」を表している、という。さらにまた、ターナーの描いた「前景大地」つまらぬ岩や土のうちには、天上の神聖な世界と同様の、あるいは、それ以上の「自然の偉大な精神」(the Great Spirit of nature)が漲っている、ともいっている。 ラスキンの「地上=卑俗世界」讃美は、天の調和へと向かいがちな古典的美学に対する反省的思考様式を示してはいないだろうか。地上の物質世界の「凝視」(contemplation)こそ、逆説的に、我々の感性論的な価値付けを可能にしているのではないか。いっけん美学者あるいは芸術学者に縁遠いものであるように思われる「地質学」へと分け入ることで、かえってターナーら風景画家の目指した近代性の輪郭がはっきりしてくるということだ。『近代画家論』に見られる地質学的な山岳美学は、じつは形而上学的な「天」の美学に対し、別の「美学」の在り方を問う鋭い批判ではなかったのか。ラスキン以後の美学者は、「地」へと深く沈潜していくような感性的認識の可能性を探る途の存在を忘れてはなるまい。
言語 ja
出版者
出版者 東方美学会
言語
言語 eng
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_5794
資源タイプ conference paper
出版タイプ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
開始ページ
開始ページ 105
書誌情報 第3回 東方美学会 国際学術大会 報告書
第3回 東方美学会 国際学術大会 報告書

p. 105-126, 発行日 2004-12-15
旧ID 24944
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Ver.1 2025-02-18 01:46:57.524193
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